「あの、もうここ終点ですけど」

電車内で寝ている男性に、そう声を掛けたのが全ての始まりでした。
彼の名前は大橋侑哉。年は、私より4つ年上。
大手自動車メーカーで、自動車に使う部品の開発業に携わっている人でした。

「あ、ごめんなさい。すっかり寝過ごしてしまって」

私が声を掛けると、慌てふためいた声で男性はそう返事をしました。
(何も、そんな慌てなくても)
見ると、彼の手元には仕事用で使っているらしきノートパソコンが。
眠ったままキーボードを押してしまったのか、画面上には無数の無意味な文字が刻まれていました。

(すごい、この人通勤途中に仕事してる。
私もその姿勢、見習わなくっちゃ―)

なんてことを考えましたが、所詮は赤の他人。
駅を降りてからは、その男性のことなどすっかり忘れてしまいました。

ところが、その1か月後―
再びその男性と、偶然電車内で鉢合わせました。
「あ、この前電車に乗ってた―!」
二人同時に、同じ言葉が口をついて出ました。
私も彼も、ビックリしたのは言うまでもありません。
その時の私は、私用で前会った時とは別の路線の電車に
乗ってましたから。まさかその電車で彼と鉢合わせするとは思わず、
その場で目をパチクリさせてしまいました。

「あのまま寝ていたら、会社に遅刻していたかもしれません。
本当に助かりました。ありがとう」

両の目をカッと見開き、深々と頭を下げて彼は私にそう言いました。
いや、そんな改まってお礼を言われるほどのことでは―
そう思いましたが、心のどこかでその言葉を嬉しいと感じている
自分がいました。

「お兄さんが電車で寝過ごして遅刻したら可哀想だなあって。
余計なお世話じゃなくて良かったです」

私がそう言うと、その男性は

「お兄さんじゃありません。
私には、こういう名前があります」

そう言って自身の名刺を手渡してくるので、少々戸惑ってしまいました。見知らぬ人から名刺をもらうという行為もですが、
彼の左手の薬指にはシルバーの指輪が嵌められていましたので。
やましいことなど何もなくても、既婚者の男性から
名刺をもらうというのは気が引けました。
断ろうか。そう思ったのですが、半ば強引な彼の口調に押され、
結局は名刺を受け取ってしまいました。

(こんなもの、もらってもどうしろと―)

手元にある名刺を眺め、そう溜め息を吐きました。
すぐさまゴミ箱に捨てなかったのは、なぜか。
私の中にもきっと、『よろしくない感情』が芽生えていたのでしょう。
人の縁とは不思議なもので、それからたびたび私は、
電車の中で彼とよく遭遇するようになりました。

「いつもこの電車に乗ってるの?学生さん?」

「いえ、学生ではないです。上小田井駅近くの、
とある民間会社でデータ入力の仕事をしています」

彼は見る度、いつも高そうな上質の素材のコートを身にまとって
いました。大人っぽい雰囲気も、独特の色気も、私にはないもの
ばかりで、ドクンドクンと胸が高鳴るのを感じました。
そして気付けば、心の底から彼を好きになっていました。
茨の道であることは百も承知で、私は愛の道を進むことを
決心したのです。

電車内でのあの一言が、こんなにも私の人生を揺るがすなどとは、
思ってもみませんでした。まさに、「人生何があるか分からない」ってヤツですね。運命的なものも感じて胸がドキドキしてしまいます。
不倫は良くないことだけれど、彼との出会いは結構ロマンティックかも・・・なーんて。今話題の「不倫食堂」ならぬ「不倫電車」なんてね。ではでは、最後まで私の拙い不倫体験記をお読み頂き、
どうもありがとうございました☆

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