主人と結婚したのは、私が27になった4月のこと。
「僕と結婚して下さい」熱烈なプロポーズを受け、「この人ならば。」と、
結婚を決めました。ところが私を待ち受けていたのは、想像を絶する悲惨な生活でした。

「ったく、なんで俺がこんなマズイ飯食わなきゃなんねーんだよッ
疲れて帰って来て食べる飯がこれじゃ働く気も失せらぁ」

結婚前は穏やかで優しかった主人。
しかし、部長という役を背負わされたその重荷とプレッシャーからか、
結婚前の主人とは別人のように人格が変わってしまいました。

「何だか最近和人さんの様子がおかしいのよ。」

周囲の友人や両親にも自身の悩みを相談しましたが、
〝ただの痴話喧嘩だろう〟と誰も真剣に私の話をとりあってくれませんでした。

ただただ困惑し、途方に暮れていたそんな時、
目の前に現れたのがYくんでした。
Yくんとはバイト先で出会いました。年は私より2つ年下の25歳。
小さな洋菓子店でケーキを作る仕事をしていた私。
そこに、Yくんが新人としてそのお店に入ってきたのです。

「初めまして。僕の名前は矢口優也と言います。
前の職場では、ワッフルやパンケーキなどの洋菓子を作る仕事をしていました。」

笑みを浮かべハキハキと話をするその姿はあまりにも眩しくて―
初めて目と目が合った時、真っ赤なバラのような熱い想いが胸に湧き上がったことを
昨日のことのように覚えています。
「理由があるとしても、そんなこと言うのって何かおかしくない?
愛する奥さんにそんなこと言うなんて。ありえないよ、絶対に間違ってるよ」

一度だけ、自身の抱えている悩みを彼に相談した時―
彼は身を乗り出し、真剣に相槌を打って私の話を聞いてくれました。
(いつものように貶されて笑われるだけだろう)
そう考えていた私は、『私の話をちゃんと聞いてくれる人がいた』
という喜びと安堵のあまり思わず彼の前で涙してしまいました。

(私のために怒ってくれる素敵なひと。
だけど、この想いは胸にずっと仕舞っておこう)

そう考え、一歩距離を置いて彼と接していた私でしたが、
強いその意思とは裏腹に、私はどんどん彼に惹かれてゆきました。

「美紀さん、良かったら今度僕と一緒にご飯食べに行きませんか?
人里離れた場所に、絶品の味だと評判のお店があるんですよ。」

出会って半年ほど経ったある日のこと。
仕事が終わり、自宅へ帰る支度をしている最中、一緒に仕事をしていたYくんに
そう声を掛けられました。
突然の誘いに戸惑いつつも、私の胸は大きくはずんでいました。
一秒でも長く彼と一緒に居たい。熱い想いが胸に湧き上がっていたから。

周囲の人にバレないように、遠く離れた街まで別行動で移動しました。
メールで待ち合わせをして・・・
その日彼が連れて行ってくれたお店は、彼の言う通り『絶品』の味で、
(私のために一生懸命お店を選んでくれたのね。)
そう思うと、愛おしい気持ちが胸いっぱいにこみ上げてくるのを感じました。

その後、彼とは3年半ほど付き合いましたが、
彼の結婚が決まったのを機に私たちの関係は消滅しました。
「もうじき結婚します」そう彼に告げられた時は少し驚きましたが、
『長く続くような関係ではない』そう思い、ある程度覚悟はしていたので、
さほどショックは受けませんでした。
今は3歳になる娘と主人と3人、都内近郊のマンションに暮らしています。
主人の言動や行動は相変わらずです。「なんでこんなつまんねー女と結婚しちゃったんだろ」
毎日のようにそのような暴言を吐かれています。
金銭的には非常に余裕はあるものの、精神的に全くゆとりのない
そんな日々を過ごしています。

―彼と愛し合ったあの日々のことを、ふとした瞬間に鮮明に思い出すことがあります。
そんな時、決まって必ず胸がぎゅっと締め付けられます。
人生のドン底に落ちていた私に、温かいぬくもりの手を差し伸べてくれたYくん。

彼と出会えて良かった。
心の底からそう思います。あの時、間違いなく私は一人の『恋する乙女』でした。
もう二度と会うことはないけれど。
彼と過ごしたあの日々は、一生忘れることの出来ないかけがえのない思い出です。

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